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奇跡を起こして無限の可能性を生きられる“神の習慣”──信じなくてもやれば奇跡が起こります

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この動画では、「神の習慣」と呼ばれる方法を通じて、努力なしで現実を変え、奇跡を引き起こす方法が紹介されています。その核心は、私たちの「見方」や「観点」を変えることです。

目次

主な内容の要約

  1. 現実は「信じ込み」で作られる
    • 私たちは無意識に持つ固定観念や条件付け(「こうあるべき」「こうなったら嫌だ」)を通して現実を見ており、それが現在の現実を作り出している。
    • 例えば、「うまくいかない」という信じ込みが、実際にうまくいかない現実を創造してしまう。
  2. 「観測者効果」が現実を決定する
    • 量子力学の「二重スリット実験」が示すように、観測者の見方(意識の向け方)が現象の状態を決定する。
    • 応援する時に「失敗するな」と強く思うと、その心配が現実化してしまうなど、日常でもこの効果は働いている。
  3. 「無条件の眼差し」で見る
    • 現実を変える第一歩は、一切のジャッジや条件付けを手放し、「ただあるがまま」を見ること。
    • 過去の記憶や未来への期待・不安を手放し、「今この瞬間」に完全に意識を向ける。
  4. 核心の習慣:「神と共に見る」
    • 「ただ見る」という状態で、「神よ、この状況を共に見てください」と心の中で唱える(祈る)。
    • 「神」をどのように定義するか、あるいは信じるかは重要ではない。この行為自体が、個人の限定された観点を超えた「無限の可能性」の領域へと触れるきっかけを作る。
    • これにより、個人の条件付けでは起こり得ない「揺らぎ」(奇跡)が現実に発生し始める。
  5. 実践ステップ
    • STEP1: 条件付けず、ジャッジせず、ただ眼前の出来事を観察する。
    • STEP2: 「神よ、共に見てください」と心の中で宣言する(信じなくてよい)。
    • STEP3: 何も変えようとせず、ただ静かに見守る。内側から自然と湧き上がってくる衝動(パッション)があれば、それに従って動く。
  6. 期待される効果
    • 人間的な努力を超えた好結果や流れの改善(収入アップ、人間関係の改善など)。
    • 慢性の頭痛が消えるなど、身体的・精神的苦痛の軽減。
    • 意図的にコントロールしなくても、自然と物事が良い方向に動き出す。

この方法は、努力や自己変革ではなく、「観点」のみを変えるだけで、現実に「揺らぎ」を起こし、無限の可能性を開くことを目的としています。信じる・信じないに関わらず、試してみる価値があると説いています。

奇跡を起こして無限の可能性を生きられる“神の習慣”──信じなくてもやれば奇跡が起こります

今日は「奇跡を起こして無限の可能性を生きられる神の習慣。信じなくてもやれば奇跡が起こります」という、何ともうさん臭い話をしたいと思います。もちろんこれは実例がたくさんある話です。YouTubeで人前でこんな話をする以上、中身のない話をすれば私が恥をかくだけですから、ちゃんと中身がある話なので、ぜひ聞いていただきたいと思います。

もし今、あなたが頑張っているのに現実が動かない、目標はあるけどどこか空回りしている、やりたいことが分からないまま毎日が過ぎていく、そんな風に感じているなら、今日お話しする内容は、その停滞を無理に頑張って変えるのではなく、自然に努力なしで動き出す方向へ整えてくれるものかもしれません。そして仮に今すぐ分からなかったとしても、長い目で見て人生が大きく良くなる可能性が、大げさではなく確実にありますので、ぜひ最後まで聞いてくれるといいのではないでしょうか。

繰り返しますが、これは努力や自己変革の話ではありません。「もっと頑張りましょう」「自分を変えましょう」という話でもないんです。むしろ、今のあなたのままでほぼ何も変えずにできる、一つの観点の転換の話をします。

早速中身に入ります。人間は無意識に決めつけてしまっている常識、ルール、固定観念を持っていますよね。それによって信じ込みができ、その信じるものが現実化される。そういう仕組みになっているわけです。耳が痛いかもしれませんが、今人生がうまくいっていない人というのは、「うまくいかない」という信じ込みを持っているんですね。「私は今うまくいっていない」もしそのようにあなたが思っているなら、それは紛れもなく「うまくいかない、うまくいっていない」という信じ込みがあり、それが現実になっているということです。

「私は違うよ」「本当にうまくいくと思っているけど、たまたま運が悪くてうまくいかないんだ」そう思う人もいるかもしれません。ただ、この話を聞くだけで別に何も失うものはありませんので、「そうかも、自分の信じ込みが現実になっているのかもしれない」くらいの感じで聞いてもらってOKです。

通常、思い込みや信じ込みを外すということは簡単ではありません。様々な経験や意識の転換によって、信じ込みが変わっていくということが大半です。しかしそれは、何か運命の流れのようなものを味方につけなければ起きないプロセスでもあって、少し受動的だと感じる人も多いと思います。

ですが、今日お伝えする方法は、今すぐに誰にでもできる観点の転換の話です。一言で言うと、現実をどう見るかを少し変えるだけで、現実の世界に揺らぎが起き、本当に現実が変わっていくということなんです。

ここから深く入っていきます。繰り返しになりますが、私たちは普段気づかないうちに「こうあって欲しい」「こうでなければならない」「こうなっては嫌だ」という条件付け、色眼鏡をかけながら現実を見ています。でも実は、その条件をつけた見方そのものが、今の現実を止めてしまっていたり固定させてしまっていたり、そうやって現実を作り出しているんですね。

これは量子力学の実験からも分かります。例えば二重スリット実験。光や電子は、観測されていない時、誰かの目で観測されていない時は波として存在しています。つまり無限の可能性としてそこに存在しているのに、人に観測された瞬間、波が粒として存在が確定するんですね。初めてこれを聞いた人は「観測者効果」とかで検索して調べてみて欲しいんですけど、つまり誰がどのように見るかが、そのまま現実のあり方を決めてしまうということなんです。

これは私自身もある時強く体験しました。サッカーや野球などのスポーツ観戦、格闘技の観戦、あるいは誰かの大事な瞬間を見て応援する。そうするとなぜか結果がいいものにならないということが多いんですよね。よくサッカーの試合で「絶対に負けられない戦いがここにある」と言って強く宣伝され、その意識でみんなが応援すると、なぜかその時に限っていい結果が出てこない。なぜか悪い結果になるということがあると思います。

あるいは小さな子供が、何かの練習の成果を大人に見て欲しい時、「見て、見て」ってよく言いますよね。そういうシーン、分かる人も多いと思いますが、大体その子は失敗します。それは親とか大人の観点が「うまくいくように、失敗しないように」と固定化された観察をしていることが影響しているんだと思います。

私も少し前までは、息子の発表会など「見てみて」という瞬間に、心の中で「うまくいけよ、失敗するなよ」と思っていました。でもその瞬間に私が捉えている現実とは、「うまくいかないかもしれない未来」「失敗する未来」というものを、どこか心配した眼差しで見ているんですね。そう、「勝って欲しい」と思うことはイコール「負け」を捉えているわけですし、「うまくいきますように」ということは「うまくいかない未来」を捉えてしまっているわけです。

つまり観測者としての自分が「こうあるべき」「こうなったら嫌だ」という強い条件付け、その眼差しで目の前の世界を見ているんですね。この話を聞いてピンと来る人は、こう意識を変えてみてください。人によってはこれだけで驚くほど結果が変わってきます。

「目の前の人、出来事を、ただそのまま見る」。私の話で言えば、息子の姿をただ見る。条件付けを外して、全てをそのままに、無条件の愛の眼差しで見るようにする。それを意識した途端、息子はとても自然に堂々と立って、のびのびと表現できるようになりました。それは現実が変わったのではなく、私の親としての見る観点が変わったことで、彼の中にあった可能性が限定されずに、無限の可能性を動き出した、そんな感覚がありました。

これはスピリチュアルでもよく言いますけど、現実そのものが外から来るのではなく、どう見ているかによって、その観察者としての条件付け、信じ込みが形を作るということなんですね。言い換えれば、もしあなたが「こうなるはず」「こうじゃないといけない」と思っている時、その信じ込みや条件付けが現実を固定化させてしまっているということなんです。

何も決めつけず、判断せず、ただ見るという見方。過去の記憶や経験、未来への期待や不安も一旦手放して、今この瞬間にフォーカスする。「こうなったら嬉しい」「こうなったら嫌だな」というポジティブ・ネガティブも一旦手放して、「ただある」という観点。この観点が開かれると、あなたの現実にゆらぎが起き始めます。つまり、まだ見ぬ可能性が開かれるんですね。

そして実はここからが奥義です。奥義と言うと大げさに感じるかもしれませんけど、本当に強力なのでぜひやってみて欲しいんです。この奥義をするだけで、人間的な能力を軽々超える結果になってしまったり、明らかに今までと違う、いい意味での揺らぎ、つまり奇跡が発生するようになります。

それは何なのか? さっきお伝えした「ある」という観察観点の中で、一言こう祈ってみてください。
「神よ、共に見てください」です。

分かる人には「なるほど」となるはずです。なぜなら、観測者効果が本当なら、そして神という存在が本当にあるなら、神はこの世界を創造した張本人である。神の観点を招き入れるわけです。つまり、自分の条件付けのない眼差しで観察するだけでなく、そこに神の眼差しを招き入れることで発生する観測者効果、つまり揺らぎが、図り知れないほど無限の可能性に高まっていく。そういうことになるわけです。

この話ですごいのが、分からなくても神を信じてなくても、それを言うだけでいいんです。それを試すだけで変化が起こります。神を定義しなくてもいいです。ただ「私一人の観察だけでなく、もう一つ神の眼差しが一緒に見ている」と感じてみるだけでいいんですね。

なぜなら神は「信じたところに現れる」というのではなく、「共に見たい」「神よ来て」という人間の自由意思が発動した時に現れてしまう存在だからなんです。この辺は本当に信じる信じないではなく、やってみたら分かるって感じなんですけど、これによって本当に現実が揺らぐんです。大きく変わってくるんですね。

なぜ変わっていくのかを少し説明すると、まず「神と共に見る」という意識の中には、何かを変えようとかコントロールしようという意思ではなく、ただ無条件に見る、無条件の愛でただ共に見るという形になるわけです。「こうであって欲しい」という固定的な見方ではなく、ただあるものを無条件の愛で見るというこの視点なんですね。それが条件付けのない観察であり、同時に創造(クリエイト)の最も純粋な出発点でもあります。

無条件の愛そのものである、無条件の愛の究極である神の眼差しを招くことで、そこで発生する観測者効果は、人によってかなりワクワクすると思います。実はこの話をここまではっきりとシステムとして私が受け取れたのは、サトルさんという知人が神とつながり、そこに下ろされた启示の中に「奇跡が起きるメカニズム」としてこれが明かされていたからなんです。

もちろん観測者効果は私も体感としてありましたし、無条件の観点で世界を捉えるくらいのことはやっていた部分もありますし、やってる人も実際いると思います。でもここで「神を招く」というこの視点が、启示によってサトルさんが下ろした启示によってはっきりと認識できたことなんですね。これによって、「最後の最後でうまくいかない人」と「なんとなく最後の最後でうまくいく人」の違いを、私は感覚的に掴んだ気がしました。

特に海外のスポーツ選手やアーティストなど、ずば抜けている人に多いと思うんですけど、これはこの「神を招く」ということが関係していると私は捉えています。彼らは本当に何かあると十字を切ったり、「神よ共にいてくれ」という風に神に祈ることがよくありますけど、そこで招かれた神の眼差しによる揺らぎが発生して、その人の能力だったり気づきだったりに揺らぎが起きて、導かれていっているという風に私は思っています。

実際、私の知人のサトルさんに启示が下ろされたのが2012年、13年、ちょうどアセンションとか言っている時期ですけど、その頃に启示として受け取られて、まだ少数ですけれど、私も含めて現時点で数百人ぐらいの方にはこういう内容がきっちり行き届いていると思うんですけど、試しに、というか、ひとまずこれを「本当に神が伝えてきたんじゃないか」ということで、仮採用でも何でもいいのでちゃんと実践する中で、実は数々の奇跡が報告されています。

それこそ、治療をされている人が、ただ神と共にクライアントを見るということを行っただけで、治そうとしているわけじゃないのに病気が治るなんてことも、10件20件どころの話ではありませんし、日常の運命の流れが停滞していた人が、この無条件の眼差しで神と共に見ることを取り入れたところ、これまでではありえなかった揺らぎ、流れが発生して、みるみる活力が湧いたり、活動が自然と始まって生きがい、やりがいが増えたり、結果として収入が跳ね上がるなどの実例も何件もあります。

もちろん私自身にも奇跡は起きていて、小さいと感じるかもしれませんけど、家庭内の絆が強まったり、上下関係、支配関係もなくなって仲良くなりました。それは、夫だから、妻だから、息子だから、親だから、という条件付けをとっ払って、無条件の愛の眼差しで相手を見る、話を聞く。本当にこれだけで天地がひっくり返えるほどの強力なエネルギーが動きます。

ちょうど先日、小さなエピソードなんですけど、息子と公園に行った時に、滑り台に子供たちがたむろしていて、滑り台の滑るところにいっぱい人が座っちゃっていたんですよね。で、私の息子は滑り台が好きなので、「なかなかこれだと滑りづらいよな」と私も思って見てました。息子も8歳になって、ちょっと図々しさもなくなってきて、空気を読んで自分のやりたいことに蓋をする、諦めるということができるようになっちゃってるんで、なんとなく息子も「今日は滑り台、今は無理かな」と諦めている様子でした。

私は親なので、息子に「滑りたいそぶりでも見せたら?」「ちょっとどいてくれますか?って言ってみたら?」と伝えたくもなるんですけれど、あえて、ただ神と共にその景色を見るという選択をしてみました。無条件の眼差しを意識して、滑り台全体をただ静かに見てました。そこで「神よ、共に見てください」と祈りました。

で、ほんの数秒後、感覚的に5秒後ぐらいだったと思うんですけど、滑り台に座っていた子供たちの中の一人が「ねえね、滑る人もいるかもしれないからここどこうか」と言い始めたんですね。で、その結果、しぶしぶどく人もいたし、「ああ、そうだね」と言ってどいた人もいましたけど、滑り台が開いたんですよ。私は「あ、来たな」ってちょっと思って、なんか面白いなと思ってました。

それと息子が即座にそれに気が付いて、滑り台にバーっと駆けのぼっていって、頭からヘッドスライディングで「ピシュー」って滑ったんですね。そしたらその元々座っていた子供たちがそれを見て、「あ、ヘッドスライディングかっこいいじゃん」と言って、ちょっとお兄ちゃんたちだったんですけど、「俺もやろう」みたいな感じでヘッドスライディング合戦みたいになって、息子もすごい楽しそうで盛り上がってました。

ちょうど息子も学校(フリースクール)に行っていて、友達が少ないんですよね。お兄ちゃんとかお姉ちゃんが多くて、年齢が近い友達がいないからちょっと寂しいんだよね、と伝えていたので、そのヘッドスライディング合戦をしてワイワイしているのを見て、なんだか親として泣けてくるような感じがして嬉しかったです。同時に神に対して「愛をありがとね」なんてちょっと伝えました。

これは小さい話かもしれませんが、私からすると揺らぎが起きたものだと確信してます。もちろん人によっては「偶然だろう」「滑り台に座るのがそもそもマナー違反でどくのは当然」と思う方もいるかもしれません。もちろんそれは自由ですしその通りかもしれませんが、実際にそこで大事なことは、私自身が体感したこと、その場の空気が変わったとか、なんだか大きなエネルギーが動いてその場に揺らぎが発生したという、その自分の感覚こそが大事だと思います。私はその揺らぎを体感して、「やっぱり眼差し、観点ってすごいな」と思いました。

それだけではなく、私は元々12年間ぐらい慢性的な緊張型頭痛に悩んでいましたけど、この「神と共に見る」という習慣を意識するようになって、1週間ぐらいの段階で頭痛が全く気にならなくなったんです。前までは痛かったりするとちょっとお酒を飲んで痛みから逃げるなんてこともしてたんですけど、全然そういうこともなくなって。なんだか分からないけど、12年間本当に原因不明で痛み止めも効かなかったし、整体に行ったり頭痛外来に行ったり脳神経外科に行ったり心療内科とかいろんなところに相談したんですけど全然改善しなかったのに、全く気にならなくなったんです。これは私にとって本当に奇跡なんですね。

なんでこんなことが起きたのかを個人的に推測したんですけど、「神と共に見る」、神と共に世界を見ることをすることで、同時に私自身も神に見られていることになっているんじゃないかな、と。で、そこに揺らぎ、創造、奇跡が起きてしまう、多分そういう構造なんじゃないかなと捉えています。この辺はちょっと複雑になるので、またおいおい深掘りしたいと思います。

実践ステップをまとめてお伝えすると、
まずステップ1:今の状態を条件付けせずにただ見る。ジャッジせず、評価せず、判断せず、赤ちゃんがまるで初めて世界を見るように捉える。
ステップ2:神に「この状態を共に見てください」と伝える。これは信じなくてもいいです。祈ってみるだけで十分なんです。
ステップ3:何も変えようとせず見守る。その静かな眼差しの変化こそが、現実の揺らぎの起点となります。

このステップを試していただくと、その「ただ見る」というベースが整った時に、多くの人が次に体験するのが、内側から何か動き出すという感覚なんです。それは頭で考えて何か言うとか行動するとかいうよりも、自然と溢れ出てくるような衝動、パッションのようなものなんですね。で、それを感じたとしたら、それは無視するんじゃなくて、むしろ必要だから湧き上がったことだと理解して動く。これでいいと思うんです。動きたくなったら動く、言いたくなったら言ってみる。そう、それってすごい大事なんですね。次の一歩として、何かまた新しいものが作られていく創造のプロセスとしてすごく大事になってきます。

実際なんでそんなことを言うかというと、「無条件の愛で見る」と言った時に、自分の心が動いたことや頭の中に出てきた言葉を、「これは俺の条件付けだ」として止めちゃう人って結構多いんですね。だけれども、「神と共に見る」ことをした後に湧き上がってきたパッションや出てきた言葉というもの自体が、それが神と共に見ることによって発生した揺らぎであるということ、次なる一歩としてそれは肯定するべきものだなと私は思っているんですね。

どうでしょうか? ここまで理解して、ぜひ試してもらいたいなと思います。最初はやっぱり意識する必要があると思うので、30秒間ぐらいは時間がかかると思うんですけど、何かが起きた、何かを見ているその時に、ポジティブでもネガティブでもない、過去でも未来でもない、「今この瞬間」「今ここ」を意識する。これが無条件の眼差しです。そしてこう言うんです。「神よ、共に見てください」。それは声に出さなくてもいいですし、信じてなくてももちろん大丈夫です。ただその「神よ、共に見てくれ」ということを言葉にするだけで、そこに自分の観点と神の観点と、いろんなものが複合的に混ざり合って、観測者効果で大きな揺らぎが発生するということです。

ぜひやってみて、何か起きたりしたらコメント欄に書いていただけると、私もとても励みになります。それではこの動画を終わりたいと思います。ありがとうございます。

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この記事を書いた人

使える本物の情報を探す旅をしています。アタマは理系ですが、スピリチュアル的なことや非科学的なことが何故か好きでネットや本で調べています。世界は広く、まだまだ知らないことがたくさんあります。

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