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【永久保存版】愛の度数を高める-多くの人が間違えてる愛の定義、アミ小さな宇宙人

どうも小林です。今日は「愛の度数を高めたい」という、そういう気持ちがある人に向けて、それがただの精神論ではなく日常を変える確かな構造として実践できるというお話をさせていただきます。
スピリチュアルの世界では「立て替え・立て直し」とか、「地球の転換期」とか言いますし、「宇宙人とか高度な文明」、「コンタクトの週末」を描いた『アミ 小さな宇宙人』というね話があります。そこに基づいて、愛のレベルによってある種選別されて、愛のレベルが高い人は救済される、そういう話があると思うんですけども、まあこういう話に少しでも興味がある、引っかかりがあるなと思ったなら、今日の内容はあなたの中で「愛とは何か」、それを根本から見直して、自分自身の霊性の向上に、活用できるかもしれません。
で、私たちが「愛してる」っていう時に、そこにはよく条件が含まれます。「家族だから愛してる」とか、「あの非常に大切な人だから愛してる」とか、ねえ、いろんな形があると思うんですけども、でもその対象を見た時に、操作とかコントロール、自分の中での支配的な気持ちがやっぱり出る人が多いんですよね。その目の前の人のことを愛してるからこそ、「何か言ってあげなきゃいけない」とか、「愛してるからこそあなたはもっとこうすべきだよ」っていうね、そういうやっぱり条件付きの眼差しで見ることっていうのがあるんです。それが本当に愛なのかどうかっていうところをやっぱりちょっと疑ってかかるっていうのも必要だし、同時に愛というものが本当にあるなら、それはどういうものなんだろうかっていうことを自分の観点だけからじゃなくてですね、例えば『アミ 小さな宇宙人』であればあの宇宙人の観点から見た愛って何だろうかとか、あるいは神様から見た愛って何だろうかとか、そういうことをですね、やっぱり色々と考えてみるのがすごく大事なんじゃないかなという風に思います。
僕自身、以前は「愛」というと、人を前向きにさせようとか、癒そうとか、ヒーリングですね、そういうものが愛だという風に思っていました。でもある時に伝えられた一言がそれを根底から覆り返したんです。それはですね、「愛するとは相手の観点から相手を見ることだ」ですね。この定義はものすごく静かで、でもすごく力強いんです。「愛するとは相手の観点から相手を見ること」。例えば相手が愚痴をこぼしている時、私たちは「前向きにしてあげないと」とかね、「そんなこと言ったって」とか、いろんな風にまあ声をかけたくなると思うし、自分の中にもたくさん葛藤が出てくると思うんですよね。でも本当の愛っていうのはそこではなくて、相手が今どんな観点からそう言ってるのか、何を感じてるのか、それを一緒に見る、共に一緒にいるっていうことから始まります。ま、言葉をかける前に、評価をする前に、ただ今その人が見ているもの、感じているものを自分も共に見てみるっていうね、その「共に見る」っていう行為が愛であり、究極的には無条件の愛という風にね、僕は伝えられて「うわあ、なるほどな」という風に思いました。
それを聞いてね、人間側として例えばすごくこう納得できたのは、自分がすごく悲しいことがあってね、「悲しいんだよね」って言った時に、「前向きにね生きていきよ」とか、「いつまでも悲しんでたってしょうがないよ」とかね、言われるとなんかちょっとこう見てもらえてないっていうかね、聞いてもらえてないっていう感じがして、ちょっとなんか嫌だなっていう気持ちがやっぱりあると思うんですよね。もちろん関係性にもよるし人にもよるんですけども、ちょっとそういう残念な気持ちになるってことが結構やっぱりあったなという風に思うんですよね。アドバイスをいただくのはすごい嬉しいんですけども、なんかその前に僕が見てるものをちょっと1回共に見てよ、みたいな気持ちになるっていうか、やっぱりなんか、言い方悪いけれども、励ます前に、一緒に感じてもらいたいっていうね、やっぱり人間としてはそういうものがやっぱりあったなと思って、えー「なるほどな」と。
だから、テクニック的な話じゃないんですけど、僕は「悲しいんだよね、こうここで」って言った時になんか共にいてくれるっていう、あの、その時にですね、やっぱりこう自分自身がなんか涙出てきたりとか、あとは癒されたりとか、なんかそういうことがあるんですよね。そうだからま、うちの妻なんかもそうなんですけども、自分自身がね、僕が例えばなんかすごくむかつくことがあって「もう本当許せない、あいつって」ま、言ったとしますよね。その時にね、妻も色々ね勉強してるしスピリチュアルのこともよく分かってきてるんですけども、だからってこう変にアドバイスをするんじゃなくてね、「それは許せないな」とか「もう私の方がむかついてきた」とかってなんか僕以上に怒ってくれるんですよね。そんな時になんかすごい癒されるっていうかなんかね、「そんなこと言っちゃだめだよ」とか「もっと前向きに」とかって言われるよりも、なんかそうやって一緒にいてくれる、一緒に感じてくれるっていう、そう、それを通してなんか本当に「この人は自分と一緒に生きてくれてる、味方をしてくれてる」ってやっぱり感覚になってね、そういう時になんかね、心が解けていくんですよね。
だから、ライトワーカーとして、スピリチュアルをやってる人とか、ある人のリーダーですよね、そういう人たちが多いと思うんですね、この動画見る人は。家庭の中でも例えば自分だけがそういうの学んでて、旦那さんも子供たちも無視、そんな話をしたらですね、あの、逆に変な宗教でもやってるんじゃないかって言われるような人、結構多いと思うんですけども、そんなあなただからこそ、やっぱり実践して欲しいスタンスというのは、今後ね、誰かと会話する中で、相手の言葉にすぐアドバイスしようとしない、何か言い返したくなったとしてもそれをしない、そして一瞬だけこう感じてみてください。「今、目の前にいるこの人が見ている世界を、私も共に見てみよう」ていうことなんですね。この小さな選択の積み重ねこそが愛の度数をどんどん高めるっていうことになるんです。僕はそうやって神に伝えてもらいました。
そうで、僕自身はその伝えてきた存在がもう神であるとか神でないとか、そういうことすらもうどうでもよくて、伝えてきた内容自体、「愛とは相手の観点から相手を見ること」、つまりそれは無条件の愛で相手を見ること。もうそれを聞いた時に、今まであんまり好きじゃなかった押し付けの愛とか、優しさとか、思いやりとか、手を差し伸べるとか、背中を叩くとか、なんかしっくり来なかったものが全部パシンとはまったんですよね。「一緒にいるってことだ、共に見るってことだ、相手の世界を共に見ようとすること、これが愛なんだ」、もうね、「来た」って思いましたね。うん、こんなの自分じゃ絶対考えつかないです。「愛はね、優しさでも励ましでも正しさでもなくて、相手の観点から相手と共に相手を見ること」。それがね、「共にいる」っていうことであって、えーそれが起きた時にね、本当の意味でもうね、何かが解けるんですよね、相手の中でも自分の中でも何かが解け始める。自分が相手の観点に立った時に、今まで気づいていなかった相手の世界が見えてきて、なんか愛が溢れてくる。あるいは相手もそうです、自分が見てもらえてなかったものがあなたに見てもらうことによって、何かが解けていって、いろんな圧力、いろんなプレッシャーとかがどうでも良くなる。「見てくれたんだ」っていうね、それによってもういろんなブロックがどんどん外れていくんですね。で、無駄な承認欲求とかも出なくなるし、えー「結果を出さないと、それじゃないと価値がないんだ」って言って無駄に頑張っちゃうとか、あるいは焦るとか、そういうのも全部なくなってくる。「愛されてるから、見てもらえてるから、焦んないんですよね」。そういう風にどんどんどんどんその自分の余計なものが癒されていくんですよね。それがまさに愛が与えた奇跡という風に僕は思っています。
こういう動画を見る方っていうのは、霊的な意味でもそうですし、現実的な意味でもやっぱりリーダーですから、そんなあなたがね、何かを引っ張っていこうとした時に、どうしても相手の悪いところを見つけちゃったりとか、「もうだからダメなのよ」とか、「言葉の使い方から気をつけないと」とか、いろんなことを言いたくなっちゃうのは分かるんです。最終的にそういうこと言うのも大事だと思うんです。でもやっぱり最初のステップとして、今日お伝えした「相手が見てるものを共に見ようとすること」っていうのは、正直簡単なことではないですけれども、それをしようとするかどうかっていうことがまさに愛を生きるかどうかっていうことになるという風に思います。何かね、参考になれば嬉しいです。それでは失礼します。