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【108チケット】シリーズ適切性と一致する①

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目次

シリーズ適切性と一致する①

不足を疑うとは別に、『適切性と一致する』シリーズ化して2本立てでやっていきます。

第一発目で『適切性と一致する』ってどういうことなのか説明していきますね。

適切性って何?

適切性って何っていうことですね。

ちょっとわかりにくいですよね、適切性。僕は適切性という言葉があると思って結構前から使っているんですけど、実際はなかった。
適正性みたいな言葉はあるんですが適切性はなかった。作っちゃったことになるんです。逆にない言葉だからちょっと意味わからないってなっていうのは、好都合かもしれないなと思っています。

適切性って何って言ったら、どの瞬間にもどの場所にもこうしておけばいいという、この形になっていればいいっていう状態があるんです。

例えば、振る舞いだったり態度だったり、行動だったり。捉え方もそうかもしれないですね。神がすべてを与えてる、全部創造し終わってるんです。もう全部びたっとその充足な形がどの瞬間にもどの場所でも誰にとってもあるということです。
その充足な形わかんないんですね。僕たちは自我を通して判断するようになっているんでどうしても頭で考えてしまう。ここで一番いい状態は何なんだろう、それに従って行動したり判断したりするわけなんですけども、そうなるとその場の適切性、充全になる完璧な状態になる形には一致できないわけですね。頭で決めつけてこうだって言ってるものだから適切性ではないことになるんですね。

だから、ここでの適切性は何だろうと意識する。それは頭が答えは探すようなものじゃありません。なんかあるんだろう、自分には捉えられない、知覚できないけど、なんか適切な完璧な形があるんだろう、それに一致したいなって思うということです。

やるべきことはもうそれだけなんです。それ以上頭で追っかけたりとか、じゃあ適切性を理解してこの形にならなきゃいけないということは、やらなくていいんです。できないと思います。だってわかんないんですから、適切性というのはどうなのかね。

まぁその瞬間瞬間で、自分が知覚できないけどその形に、頭で考えるというよりは、そうじゃなくて自分が自身が自我っていう鎧を下ろしてですね、それと一致したいなーっていう風にそう思うようなことね、それで終わりです。
あとはもう、これまで通りしてください。頭で判断してもいいし、思ったり行動してもいいし、好きにしたらいいんです。
これまで通り、これまでやってたこと何一つ変える必要はないんです。そこに適切性を意識し、適切性はなんだろーって意識するっていうのちょっと付け加えるだけですね。ずっとやらなくていいです。その都度ね折に触れてそれを意識するだけでいいんです。
なんかね難しい問題抱えたりとかなんか判断を迫られた時とかは、特にやりやすいと思いますけど。わかんないから、どうすればいいのか何が最良なんだってなりますね。その時に今の適切性はなんなんだろうと思って意識すれば。

主へのリクエストと同じ

これは基本エンジンは、DEBUGでご紹介した主へのリクエストと同じなんです。

主よあなたにとっての最良をお与えください。

適切性と一致するもやってることは同じなんです。違うのは、主ってものは想定しません。

主はお与えになった、自分とっての完璧な型がここにある。それに一致したいということだけです。だからもう主とかそういうことも考えなくていいってことなんですね。
わかんないけど適正性があるんだろう、それと一致したいって思うことなんです。
何だろうっていうふうに思いをはせるだけのことです。
それで完了です。

もうそれだけしとけばいいんです、ということですね。間違えようがないやり方。
だって意識するだけで終わりなんですから、それがその後の行動とかに影響して来ない、管理をしてこないわけです。思ったら終わりです。思った結果がどうなるじゃないんですね、思った適切性が見つかる見つからないじゃないんです。見つからなくていいんです。思っただけで終わりだからそこで完了して、もう次いってください。それだけしといてくださいってことです。簡単だと思います。

誰にでもできるし。何もすごい荷をせをわせることもできないわけです。
だから間違う余地もない。完璧な結果になっていくんです。
じゃあどう具体的に完璧になっていくのかってのがありますね。

Q&A:適切性と一致するyoutubeのコメントで関連したところをピックアップ

ふくららこさんですね

適切性の一致についてです。思った出来事に対して不足感に感じる出来事でも完璧だと認定するという手法を聞きます。このことですか?

不足に感じがちな雨をめぐみの雨と捉えるように、日常で不足と感じることもそうじゃないことも、もちろん充足を感じる出来事も、すべて願いが叶う、いや叶った方向を向いているからこそ、起こっている。不正プログラムの中の自分のジャッジは採用しても無駄、もうそれは完璧な出来事でしかない。
108さん動画にも適切性についての動画があったと振り返ってみて、108さんの書籍にも適切性について書かれた箇所があったなと思い出して読んでみて、そしたらもしかしてそういうことかって、今抱えている問題も完璧だからこそなのか、問題じゃなくて充足でしたかって思ったら、わーはははは笑えてきましたとまぁどう見ても不正プログラムの中にいる私からは少し見えるのですが違うかな?

108回答

これはの解釈の話だと思うんです。
解釈とはまた別の次元の話なんですね、解釈の外の話っていうか解釈は頭でやっていることですね。思考を通してやってることですけれども、そうじゃないところの次元の話なんです
だから捉えられなくていいということです。
なんかわかんないけどて適切性があるんだろうと、自分はあの感知できてないけど、あるんだろうとそれで一致したいなーって思うっていうだけのことです。

そうすればまさにおっしゃったように、不足だと思ったら充足だったんだとなってくると思う。結果でわかるというね。
あとから、適切性と一致できてたんだ、分かんなかったけど、みたいなことになってきます。

ここあさん

適切は何だろう?の状態でいたのですが、不足を疑うとは違う感じの充足の現れ方をしたのでカキコします。寝てる時にインターフォンの音で起きて再度さあ寝ようと思っていたときに、ああ私○○なんていらなかったんだとひらめいて、その途端にシュート頭から背中まで力抜けて、これが荷だったのと自分の信念に気がついて、それについての葛藤がなくなってしまいました。
その○○なんていらなかったと気づいた。
○○とは常識的には幸せの象徴と言われているもので、考えてみれば13年前から欲しいけどどうにもならないと苦しんでました。
つまり私は本心では欲しいと思っていなかったのに幸せの象徴だから手に入れなくちゃいけない、だから欲しい、でもどうにもならないと一人で葛藤していただけでした。
適切性に気が付いたという解釈もできます。文書が下手ですいません。

追記

とりあえず継続して適切性は何だろうとしていたら気に病んでいたことが解決したり、不可能に思える欲しかったものが自然な形で勝手にやってきました。
自動運転モードに切り替えます。

108回答

○○なんていらなかったんだって、これはもう、ふとした瞬間そうした気づきがあったということですね。荷がおりたっていうことで、間違った条件付けば外れたって事でね、これは素晴らしいことですね。
適切性はなんだってしていたら、勝手に気に病んでいたことが解決たりとかね、頭で不可能に思えることや、欲しかったものが自然な形で勝手にやってきたでしょ。
適切性に一致したからそうなったということなんです。適切性と一致すれば自動運転モードなんです、最強なんですね間違う余地はないし、やることでもないしね。ちょっともうこれでしょ。
それでもこのこういった完璧な充足は流れ込んでくるんですよ。
これはやらない手はないだろうと思う。もうどんどんやっていってください。
わかるわからないじゃないんです、実証主義でやってみればわかるって話なんです。

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